腕時計はいつ生まれた?
1810年代にナポリ王妃のために作られたのが最初期の例。男性に広まったのは20世紀の戦争からです。
時間を知りたいとき、手首をちらりと見る。スマートフォンが普及したいまでも、腕時計は身近な道具です。ところが、腕に時計を巻くという習慣は、意外なほど新しいものです。19世紀の紳士たちは、時計をチョッキのポケットに入れ、鎖でつないで持ち歩いていました。
では、最初の腕時計は誰のために作られたのでしょうか。その答えは、ナポレオンの妹にたどり着きます。
最初の腕時計は王妃のために
腕に時計を着けるという発想そのものは古く、1571年にはイングランド女王エリザベス1世が、寵臣ロバート・ダドリーから腕に着ける時計を贈られたという記録があります。ただ、腕に着けるために一から設計された時計として、よく「最初」に挙げられるのは、それから200年以上あとのものです。
1810年6月、ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラは、パリの時計師アブラアン=ルイ・ブレゲに1つの時計を注文しました。ナポレオンの妹である彼女が求めたのは、細長い形の薄い時計で、音で時刻を知らせる仕掛けと温度計を備え、髪の毛と金の糸で編んだバンドで腕に着けるというものでした。ブレゲの工房の記録で「2639番」と呼ばれるこの時計は、2年あまりをかけて完成し、1812年12月に納められました。
残念ながら、この時計の現物は行方がわかっていません。それでもブレゲの記録が残っていることから、腕時計の歴史の出発点として語り継がれています。
100年近く、腕時計は「女性のもの」だった
その後の腕時計は、長いあいだ女性の装身具でした。1868年には、スイスのパテック・フィリップがハンガリーの伯爵夫人のために腕時計を作り、これがスイス初の腕時計とされています。宝石をあしらったブレスレットのような時計は上流階級の女性に好まれましたが、男性はもっぱら懐中時計。手首に時計を巻くのは女性的なこととみなされていました。
女性の服にはポケットが少なかったことも、腕時計が女性に好まれた理由のひとつと考えられています。
戦場と空が変えた
流れを変えたのは、時間を正確に合わせる必要に迫られた人々でした。19世紀後半には、イギリスの将校たちが植民地での戦いで、懐中時計を革のベルトで手首に留めて使うようになります。部隊の動きを合わせるのに、いちいちポケットから時計を取り出していては間に合わないからです。
空の世界でも、同じ悩みを抱えた人がいました。ブラジル出身の飛行家アルベルト・サントス=デュモンです。飛行船を操縦するとき、両手を操縦装置から離さずに時間を確かめたい。そんな友人の願いに応えて、パリの宝飾商ルイ・カルティエが1904年ごろに腕時計を作ったといわれます。この時計はのちに「サントス」の名で1911年に売り出され、男性用腕時計の先駆けになりました。
そして決定打となったのが、1914年に始まった第一次世界大戦です。塹壕戦では、砲撃と歩兵の前進のタイミングをぴったり合わせる必要がありました。暗がりでも読める夜光の文字盤や、割れにくいガラスを備えた軍用の腕時計が作られ、イギリス陸軍省は1917年から兵士に腕時計を支給しはじめます。同じ年、イギリスの時計業界誌は、戦前は男性にほとんど使われなかった腕時計が、いまや軍服を着たほぼすべての男性の手首に見られると書いています。
戦争から戻った男性たちは、腕時計をそのまま日常でも使い続けました。1930年にはスイスからの腕時計の輸出数が懐中時計と並び、1934年には懐中時計のほぼ2倍に達しています。