アインシュタインは数学が苦手だった?
いいえ。数学は子どものころから得意で、成績も最高点でした。「落第」の話は誤解です。
数学のテストで悪い点を取ったとき、「アインシュタインだって数学で落第したんだから」となぐさめられたことはないでしょうか。相対性理論を生んだ20世紀最大の物理学者も、学校の数学は苦手だった。なんとも心強い話です。
ところが、アインシュタイン本人はこの話をはっきり否定しています。実際の彼は、子どものころから数学が大の得意でした。
「数学で落第」の出どころ
この話を世に広めたのが、アメリカの人気新聞コラム「リプリーの信じようと信じまいと」です。1935年、プリンストンに住んでいたアインシュタインのもとに、あるラビ(ユダヤ教の指導者)がその切り抜きを持ってきました。見出しは「現存する最も偉大な数学者、数学で落第」。
アインシュタインは笑って、こう答えたといいます。「私は数学で落第したことなど一度もありません。15歳になる前に、微分と積分をものにしていましたから」。
12歳で幾何学に夢中
彼の数学好きは筋金入りでした。小学校では数学の成績がクラスで一番で、学校の求める水準をはるかに超えていたと記録されています。12歳のころには、両親が買ってくれた教科書で、夏休みのあいだに代数と幾何を独学しました。13歳の誕生日を迎える前には、ピタゴラスの定理の証明を自分で考え出したといわれます。
一家と親しかった医学生のマックス・タルムードは、幾何の教科書を渡したところ、少年はすぐに1冊を読み終えて高等数学に進み、やがて自分にはついていけなくなったと振り返っています。
16歳の「不合格」
誤解の種になったかもしれない出来事も、ないわけではありません。1895年、16歳のアインシュタインは、スイスのチューリッヒにある連邦工科大学(現在のETH)の入学試験を受けました。結果は不合格。ただし、合格に届かなかったのは語学などを含む一般科目のほうで、数学と物理では際立った成績を収めていました。
学長の勧めで、彼はスイスのアーラウにある州立学校で1年間学び直します。1896年に受け取った卒業資格の成績証明書には、代数、幾何、画法幾何、物理、そして歴史に、6段階評価の最高点である6が並んでいます。一方、フランス語は3でした。
この学校の評価は「6が最高、1が最低」でした。成績表を見た人が、逆に「1が最高」と思い込んだことが誤解を生んだのではないか、という説もありますが、はっきりしたことはわかっていません。いずれにせよ、同じ年の秋、アインシュタインは17歳で連邦工科大学に入学し、数学と物理の教員になるための課程に進みました。
天才にも手ごわかった数学
とはいえ、アインシュタインが数学で苦労しなかったわけではありません。彼が苦戦したのは、学校の数学ではなく、最先端の数学でした。
重力の理論を作り上げようとしていたアインシュタインは、そのために必要な、曲がった空間を扱う幾何学に行き詰まります。そこで頼ったのが、大学時代の友人で数学者になっていたマルセル・グロスマンでした。グロスマンの助けを借りて新しい数学を身につけ、1915年、アインシュタインはついに一般相対性理論を完成させます。
晩年の1943年、数学が苦手だと打ち明ける手紙を送ってきた少女に、アインシュタインはこう返事を書いています。
数学で苦労していることを気にしないでください。私の苦労のほうが、もっと大きいと請け合いますよ。
数学が得意だった天才も、自分の限界の先では悪戦苦闘していました。「落第」の伝説よりも、こちらのほうがずっと励まされる話かもしれません。