中世の人は地球が平らだと思っていた?
いいえ。中世ヨーロッパの学者たちは、地球が丸いことを当然の知識として知っていました。
昔の人は地球が平らだと信じていて、海の果てまで行くと滝のように落ちてしまうと恐れていた。そこへコロンブスが現れ、地球は丸いと主張して西へ船を出した。子どものころ、こんな話を聞いた覚えのある人は多いのではないでしょうか。
けれども歴史家たちは、この話をきっぱり否定しています。中世ヨーロッパで教育を受けた人々は、地球が丸いことをよく知っていました。「中世の人は地球が平らだと思っていた」という話そのものが、ずっと後の時代に生まれた思い込みなのです。
古代ギリシアで、地球はすでに丸かった
地球が球体だという考えは、紀元前5世紀ごろには古代ギリシアの文献に現れます。紀元前330年ごろには、哲学者アリストテレスがその証拠を挙げていました。月食のとき月に映る地球の影がいつも丸いこと、南北に旅をすると見える星が変わることなどです。
紀元前240年ごろには、エラトステネスが地球の周の長さを計算しています。エジプトの2つの都市で、同じ日の正午に太陽の高さが違うことを利用した方法でした。彼が使った長さの単位がどれほどだったかには諸説ありますが、地球の大きさを見積もるという発想そのものが、地球が丸いことを前提にしていました。
中世の学者たちの「常識」
この知識は、中世にもしっかり受け継がれました。8世紀のイングランドの修道士ベーダは、725年に書いた暦の解説書『時の計算について』のなかで、場所によって昼の長さが変わる理由を、丸い地球を前提に説明しています。
13世紀には、ヨハネス・デ・サクロボスコが天文学の入門書『天球論』を著しました。地球が球体である証拠として、東の土地ほど星の出入りや月食が早く見えること、北へ行くほど北極星の周りの星がよく見えること、船のマストに登るほど遠くまで見渡せることなどを挙げています。この本は何百年ものあいだ大学の教科書として使われ、1472年に初めて印刷されてから200年ほどのあいだに、少なくとも84版を重ねました。
もちろん例外もいました。4世紀の著述家ラクタンティウスや、6世紀の修道士コスマスは、地球が丸いという考えを否定しています。ただ、彼らの主張は少数派で、後の学者たちに大きな影響を与えたわけではありませんでした。科学史家のデイヴィッド・リンドバーグとロナルド・ナンバーズは、中世のキリスト教の学者で地球の球形を認めず、そのおおよその周の長さを知らなかった者は、ほとんどいなかったと述べています。
コロンブスが反対された本当の理由
では、コロンブスの計画はなぜ反対されたのでしょうか。争点は地球の形ではなく、大きさでした。
コロンブスは、いくつもの都合のいい数字を組み合わせて、大西洋のカナリア諸島から西回りで日本までの距離をおよそ5000キロメートルと見積もっていました。実際の距離は約2万キロメートルです。スペインの学者たちは、アジアの東岸はもっとずっと遠く、当時の小さな船では食料も水ももたないと考えていました。正しかったのは、反対した学者たちのほうだったのです。コロンブスが助かったのは、その途中に、彼が存在を知らなかったアメリカ大陸があったからでした。
神話を作った19世紀
「平らな地球」の話を広めたのは、19世紀の書き手たちです。1828年、『スリーピー・ホローの伝説』で知られるアメリカの作家ワシントン・アーヴィングが、コロンブスの伝記を出版しました。物語性たっぷりのこの本には、無知な聖職者たちが聖書を盾に地球の球形に異を唱える場面が描かれていますが、それを裏づける記録はありません。それでも、多くの読者がこれを史実として受け取りました。
その後、宗教と科学は昔から争ってきたと主張する本が、19世紀後半に相次いで書かれます。その「証拠」として、中世の教会が地球は平らだと教えていたという話が使われました。歴史家ジェフリー・バートン・ラッセルによれば、この誤解が最も広まったのは1870年から1920年ごろのことです。この話は20世紀の学校の教科書にまで載るようになり、上のフラマリオンの版画も、のちに16世紀の作品であるかのように紹介されることがありました。暗い中世と明るい近代という対比を描くのに、平らな地球はあまりにも便利な小道具だったのです。