ベルサイユ宮殿にはトイレがなかった?
トイレはありました。ただ住む人の数に比べて足りず、衛生面の問題も多かったようです。
鏡の回廊にきらめくシャンデリア、どこまでも続く幾何学模様の庭園。フランス王ルイ14世が築いたベルサイユ宮殿は、ヨーロッパの宮廷文化の頂点ともいえる場所です。
ところが、この宮殿には昔から不名誉な噂がつきまといます。「ベルサイユにはトイレがなく、貴族たちはカーテンの陰や庭の茂みで用を足していた」。香水が発達したのも、そのにおいをごまかすためだった、などと語られることもあります。この話、どこまで本当なのでしょうか。
宮殿自身が「誤解です」
実は、ベルサイユ宮殿を管理する公的機関は、教育向けの資料のなかでこうした話を取り上げ、「誤った思い込み」だと説明しています。ルイ14世は生涯に1度しか入浴しなかった、廷臣たちはカーテンの陰で用を足していた、といった話がいまも広まっているが、実際には衛生はつねに大きな関心事だった、というのです。入浴についても、ルイ14世は1672年から1680年にかけて、宮殿の1階に豪華な浴室の続き部屋を造らせています。1685年には、セーヌ川の水をくみ上げる巨大な揚水装置「マルリーの機械」も動きはじめ、ベルサイユへ水を送りました。
宮殿には、ルイ13世の時代から共同の便所がありました。ルイ14世の時代の場所としては、「大使の階段」の裏手と、南翼の回廊の2か所が確認されています。北翼にも同じような設備があり、ほかにもいくつかあったと考えられています。
そして、なにより多かったのが「穴あき椅子」です。座面に穴を開けた椅子の下に容器を置いた、持ち運びのできる便器で、宮殿には数百脚があったといわれます。数は資料によって200脚とも350脚近くともされ、はっきりしませんが、少なくとも「トイレがなかった」わけではありません。
王のトイレは見物の場
穴あき椅子にまつわる話で有名なのが、ルイ14世の朝の習慣です。治世のはじめのころ、王は朝の起床の儀式のあいだ、寝室の奥で穴あき椅子に30分ほど座っていたといいます。そして、その場に立ち会えることは、限られた廷臣だけに許された特権でした。
もっとも、この習慣はやがて形だけのものになり、王は用を足すための人目につかない小部屋を設けました。遅くとも1672年には、王の居室の近くに専用の「椅子の小部屋」が造られています。
18世紀のルイ15世の時代になると、水で流す「イギリス式」の便器も登場しました。それでも、中身を運び出す仕事はなくならず、王のそばには最後まで、便器の容器を運ぶ専門の係が2人仕えていたそうです。
それでも足りなかった
では、噂はまったくのでたらめだったのかというと、そうともいい切れません。ルイ14世の時代、宮殿には何千人もの人が暮らしていました。そのうえ、毎日のように大勢の見物人が押し寄せていたのです。宮殿側の資料も、宮廷のしきたりに慣れない訪問者たちが、あちこちで用を足してしまうことはあっただろうと認めています。
汚物の行き先にも問題がありました。当時のパリでは、穴あき椅子の中身を窓から通りに捨てることがまだ珍しくありませんでした。ベルサイユでは、地下の汚水だめと排水路の仕組みが整えられ、1710年には宮殿全体で35か所近くの汚水だめがありました。そのおかげで、窓から捨てる習慣はなくなったと考えられています。
ただし、その排水が流れ込んだ先の池は「臭い池」と呼ばれるようになり、別の池は同じ理由から1736年に埋め立てられてしまいました。トイレはあった。けれども、数千人の汚物を処理するには、まだ力不足だったのです。