ピサの斜塔はなぜ傾いた?
やわらかい地盤の上に、浅い基礎で建てたためです。工事中の1178年には、もう傾きはじめていました。
199年
イタリア中部の町ピサ。大聖堂の広場には、誰もが一度は写真で見たことのある白い塔が、いまにも倒れそうな角度で立っています。観光客が手で支えるポーズをとって記念写真を撮るのも、すっかりおなじみの光景です。
この塔は、はじめから傾けるつもりで建てられたわけではありません。傾いてしまったのは、まだ建設の途中のことでした。
建設の途中で沈みはじめた
ピサの斜塔は、大聖堂の鐘楼として建てられました。工事が始まったのは1173年8月です。ところが1178年、まだ下のほうの階を積み上げた段階で、塔は沈みはじめてしまいます。
原因は足もとにありました。基礎の深さはわずか3メートルほど。そのうえ、ピサの地面は川や海が運んだ粘土や砂が積み重なってできた、やわらかい地盤です。塔の重さを均等に支えきれず、片側がより深く沈みこんでいったのです。
戦争が塔を救った
その後、工事は100年近く止まってしまいます。当時のピサ共和国は、ジェノヴァやルッカ、フィレンツェとの戦いにほぼ明け暮れていたからです。
ところが、この中断が思わぬ幸運をもたらしました。工事が止まっているあいだに、塔の重みで地盤が締まっていったのです。もし休まず一気に積み上げていたら、塔はほぼ確実に倒れていただろうと考えられています。
1272年に工事が再開されると、技術者たちは傾きをごまかす工夫をしました。上の階を、傾いた側だけ少し高く造ったのです。そのため、塔はまっすぐではなく、よく見るとバナナのようにわずかに曲がっています。工事はその後も中断をはさみ、最上部の鐘楼が完成したのは1372年。着工から199年後のことでした。
倒れる寸前からの大手術
完成後も、塔はゆっくりと傾き続けました。1990年には傾きが約5.5度に達し、同年1月、塔は一般公開を中止します。前年の1989年に、同じイタリアのパヴィアで中世の塔が突然崩れ落ち、死者が出たことも、危機感を強めていました。
1993年からは、塔の根元に合計870トンもの鉛のおもりを置いて、傾きを少し引き戻しました。さらに決め手となったのが、傾きとは反対側、浮き上がった北側の地面の下から、少しずつ土を抜き取る方法です。抜いた土は約38立方メートル。北側をわずかに沈めることで、塔は約45センチ起き上がり、1838年ごろの傾きに戻りました。
こうして2001年12月、塔は再び公開され、傾きはおよそ4度になりました。2008年には、塔の歴史上はじめて傾きの進行が止まったと報告されています。ただし、まっすぐに直そうとは誰も考えませんでした。傾いていてこそ、ピサの斜塔だからです。
ガリレオの実験は本当にあった?
ピサの斜塔といえば、ガリレオ・ガリレイの落下実験を思い浮かべる人も多いでしょう。重さの違う2つの球を塔の上から落とし、同時に地面に着くことを示した、という有名な話です。
ところが、この話のおもな出どころは、弟子のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニが1654年に書いた伝記です。ガリレオ自身の著作には、斜塔で実験したという記録がありません。そのため多くの歴史家は、実際の公開実験ではなく、ガリレオが頭の中で考えた「思考実験」が伝説になったのだろうと見ています。
実は、似た実験の確かな記録はほかにあります。1586年、オランダのデルフトで、数学者シモン・ステヴィンらが重さが10倍違う2つの鉛の球を約30フィート(約9メートル)の高さから落とし、同時に地面に着いたと報告しているのです。