自由の女神は昔は銅色だった?
本当です。完成した1886年には赤茶色に輝く銅の色で、数十年かけて緑色に変わりました。
30年
自由の女神の絵を描くとしたら、多くの人は迷わず青緑色の絵の具を手に取るでしょう。あの色は、ニューヨークの象徴としてすっかりおなじみです。
ところが、1886年にお披露目されたとき、女神はまったく違う色をしていました。新しい10円玉のような、赤茶色にきらめく銅の色だったのです。
2枚の硬貨ほどの薄い銅の皮
自由の女神は、アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られた像です。デザインしたのは彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ。内部の鉄の骨組みは、のちにエッフェル塔を建てるギュスターヴ・エッフェルが設計しました。
像の表面は、銅の板を内側からたたいて形づくったものです。その厚さは約2.4ミリ。アメリカ国立公園局は、1セント硬貨を2枚重ねたくらいだと説明しています。完成に先立って、頭部は1878年のパリ万国博覧会でひと足先に公開され、来場者は中に入ることもできました。像はフランスで組み立てられた後、分解されて海を渡り、1886年10月28日に除幕式を迎えました。
茶色から緑へ、ゆっくりと
銅は、空気にさらされるとまず酸素と結びついて、くすんだ茶色や黒っぽい色に変わっていきます。そこに雨や湿気、空気中の二酸化炭素や硫黄分などが加わると、表面に緑色の膜ができます。日本語でいう「緑青(ろくしょう)」です。石炭の煙が立ちこめていた当時のニューヨークでは、硫黄を含む汚れた空気が、この変化をさらに後押ししたと考えられています。
女神の表面に緑色が広がりはじめたのは、1900年を過ぎたころでした。アメリカ国立公園局によると、像全体がすっかり緑青に覆われるまでには、およそ30年かかったといいます。20年ほどでほぼ今の色になっていたとする資料もあります。
「女神にペンキを塗る」計画
緑色に変わっていく女神を見て、心配する人たちもいました。これはさびて傷んでいる証拠ではないか、というわけです。1906年、アメリカ議会は約6万2800ドルの予算を認め、補修とあわせて像の内側と外側にペンキを塗ることにしました。
この計画が新聞で報じられると、強い反対の声が上がります。女神の姿に手を加えるなんてとんでもない、という人が少なくなかったのです。そこで陸軍の工兵隊が緑青の影響を調べたところ、意外な結論が出ました。緑青はむしろ内側の銅を守っているうえに、像の輪郭をやわらげて美しく見せている、というのです。結局、ペンキが塗られたのは像の内側だけでした。
さびが守り、さびが壊した
緑青の膜は、銅の表面にしっかりと張りついて、それ以上の腐食を食い止める役目を果たします。薄い銅の皮が100年以上も雨風に耐えてこられたのは、この膜のおかげです。
一方で、女神を本当に傷めていたのは内側でした。銅の皮を支える鉄の骨組みは、銅と触れ合う部分で電気的な反応による腐食が進み、ぼろぼろになっていたのです。像の内側に塗り重ねられたペンキが、その傷みを長いあいだ覆い隠していました。
1984年から1986年にかけての大規模な修復では、約1800本の鉄の部材が、さびにくいステンレス鋼に取り替えられました。たいまつも新しく作り直され、炎の部分は24金の金箔で覆われています。ちなみに外側の銅の皮を補修するときには、見た目をそろえるため、ベル研究所の屋根から譲り受けた、色合いのよく似た古い銅板が使われました。