線路の幅はなぜ1435mm?
イギリスの炭鉱で使われていた軌道の幅を、鉄道の父スティーブンソンが受け継いだためです。
1435mm
鉄道の2本のレールの間隔を「軌間」といいます。新幹線もヨーロッパの高速鉄道も、アメリカや中国の多くの鉄道も、この幅は1435mm。世界の鉄道路線のおよそ6割がこの幅を使っていて、「標準軌」と呼ばれています。
それにしても、1435mmとはずいぶん半端な数字です。1400mmでも1500mmでもなく、なぜこの幅になったのでしょうか。
炭鉱のトロッコから
答えは、19世紀はじめのイギリス北東部にあります。この地方の炭鉱では、石炭を積んだ荷車を馬に引かせて、木や鉄のレールの上を走らせていました。「ワゴンウェイ」と呼ばれる、こうした軌道です。
この地で育ち、炭鉱の技術者として働いていたのが、のちに「鉄道の父」と呼ばれるジョージ・スティーブンソンです。彼はこの地方のワゴンウェイで、4フィート8インチ(約1422mm)という幅を好んで使い、自分が手がけたキリングワース炭鉱の軌道にもこの幅を採用しました。1825年に開業したストックトン・アンド・ダーリントン鉄道も、すでにあった荷車がそのまま走れるよう、同じ幅を採用しています。
では、残りの半インチはどこから来たのでしょうか。1830年に開業したリバプール・アンド・マンチェスター鉄道を建設する際、スティーブンソンはカーブで車輪がきしんで引っかかるのを防ぐため、幅を半インチ(約13mm)広げました。こうして生まれた4フィート8インチ半が、メートルに直すと1435mmになるのです。
「ローマの戦車」説は本当?
この幅については、有名な話があります。古代ローマの戦車の車輪の幅が、ローマ街道にわだちを刻んだ。そのわだちに合わせて馬車が作られ、馬車の幅が荷車に受け継がれ、ついには鉄道の幅になった。だから線路の幅は、2頭の馬のお尻の幅で決まったのだ、というものです。
よくできた話ですが、そのまま信じるわけにはいきません。アメリカの事実検証サイトはこの話を「誤り」と判定し、あえていえば「取るに足らない理由で、一部は正しい」程度だと付け加えています。荷車の幅がおおむね似通っていたのは、馬に引かせる乗り物として扱いやすい大きさが、どの時代もそれほど変わらなかったからにすぎない、という見方です。ローマから鉄道まで、一本の線でまっすぐつながっていたわけではないのです。
幅をめぐる「戦争」
実は、1435mmがすんなり標準になったわけではありません。イギリスの技術者イザムバード・キングダム・ブルネルは、グレート・ウェスタン鉄道に約2140mmという広い軌間を採用しました。広いほうが高速で安定して走れる、と考えたとされます。
異なる幅の線路がぶつかる駅では、乗客も貨物もいちいち乗り換え、積み替えをしなければなりません。この混乱は「軌間戦争」と呼ばれました。結局、すでに路線の長かったスティーブンソンの幅が勝ち、1846年の法律で、新しく造るイギリスの旅客鉄道はこの幅にすることが定められました。グレート・ウェスタン鉄道が広い軌間を完全にやめたのは、1892年のことです。
日本の線路はなぜ狭い?
ところで、日本のJRの在来線の多くは、1435mmではなく1067mmの「狭軌」です。1872年に新橋と横浜の間で開業した日本最初の鉄道から、この幅が使われてきました。
この幅は、明治政府に招かれたイギリス人技師エドモンド・モレルが、大隈重信と相談して決めたとされています。山がちな国土で、建設費を抑えられることなどが理由だったといわれます。その後、標準軌に改めようという議論が何度も起こりましたが、線路網を広げることが優先され、実現しませんでした。
国の鉄道として初めて標準軌を採用したのが、1964年に開業した東海道新幹線です。京浜急行など、一部の私鉄はそれ以前から標準軌を使っていました。いまも、新幹線と在来線では線路の幅が違います。そのため、山形新幹線や秋田新幹線のように新幹線の車両を在来線に乗り入れさせる区間では、在来線の線路を標準軌に造り替えています。