天の川はなぜ「川」と呼ばれる?
夜空を流れる光の帯を、東アジアの人々が川に見立てたからです。西洋では「乳の道」と呼ばれました。
街の明かりが届かない場所で夜空を見上げると、空を横切るように、ぼんやりと白く光る帯が見えます。日本ではこれを「天の川」と呼んできました。夏の夜、七夕の季節になると、とくにその名前を耳にする機会が増えます。
でも、よく考えると不思議な名前です。あれは本当に水が流れているわけではありません。それなのに、なぜ「川」なのでしょう。そして、海の向こうの人々は、同じ光の帯を何と呼んできたのでしょうか。
東アジアの人々は、空に川を見た
光の帯を川に見立てたのは、日本だけではありません。古代の中国では、この帯を「天河」「天漢」「河漢」などと呼びました。「漢」は、中国の大河である漢水(かんすい)を表す字でもあります。夜空に横たわる白い流れを、地上の大きな川になぞらえたのでしょう。「銀河」という言葉も、銀色に光る川という意味で、やはり中国から伝わった呼び名です。中国、朝鮮半島、日本、ベトナムなど、東アジアでは広く「川」のイメージが共有されてきました。
日本最古の歌集である『万葉集』にも、天の川は何度も登場します。表記には「天漢」「天河」などの漢字が使われ、「あまのがは」と読まれました。
川をはさんだ恋の物語
天の川が「川」であることは、七夕の物語にとって欠かせない設定です。
中国から伝わった伝説では、機織りの上手な織女と、牛飼いの牽牛(けんぎゅう)が、天の川をはさんで離ればなれにされてしまいます。二人が会えるのは、年に一度、7月7日の夜だけ。カササギが翼を広げて橋を架けてくれる、という言い伝えもあります。織女と牽牛の名前は、紀元前につくられた中国最古の詩集『詩経』にすでに見られます。
夜空では、織女はこと座のベガ(織姫星)、牽牛はわし座のアルタイル(彦星)にあたります。実際に夏の夜空を見ると、この2つの明るい星は、天の川をはさんだ両岸に輝いています。
この物語は日本でも深く愛され、『万葉集』には七夕を詠んだ歌が100首以上収められています。川を舟で渡る、川の瀬で待つといった表現が多いのも、天の川を本物の川のように思い描いていたからでしょう。
西洋では、こぼれた女神の乳
一方、ヨーロッパでは、同じ光の帯がまったく違うものに見えていました。英語では「ミルキー・ウェイ(Milky Way)」、つまり「乳の道」と呼ばれます。
その背景には、ギリシア神話があります。神々の王ゼウスは、人間の女性とのあいだに生まれた赤ん坊のヘラクレスを不死の体にしようと、眠っている妻ヘラの乳を飲ませました。目を覚ましたヘラが、見知らぬ赤ん坊を驚いて押しのけたとき、ほとばしった乳が空に散って、白い光の帯になったというのです。
この物語は「乳の環」を意味するギリシア語の呼び名を生み、ラテン語では「ヴィア・ラクテア(乳の道)」と訳されました。そして、乳を意味するギリシア語「ガラ」から、「ギャラクシー(銀河)」という言葉が生まれました。いまでは宇宙に浮かぶ無数の星の大集団を指す言葉ですが、その語源をたどると、ひとしずくのミルクにたどり着くのです。
正体は、数えきれない星の集まり
天の川の正体が明らかになったのは、17世紀のことです。1610年、ガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡を天の川に向け、それが無数の暗い星の集まりであることを発見しました。川でも乳でもなく、肉眼では一つひとつを見分けられないほどの星が、帯のように連なっていたのです。
現在では、私たちの太陽系そのものが、数千億個ともいわれる星が円盤状に集まった巨大な銀河の中にあることがわかっています。その円盤を内側から眺めると、星の密集した部分が空をぐるりと一周する帯として見えます。これが天の川です。私たちは、自分が暮らす銀河を、内側から見上げているのです。