「パンがなければお菓子を食べればいい」と言ったのは誰?
マリー・アントワネットではありません。元はルソーが『告白』に書いた「ある大公妃」の言葉です。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」。民衆の暮らしを知らない王侯貴族の象徴として、これほど有名なせりふはないでしょう。言ったのは、フランス革命で断頭台に送られた王妃マリー・アントワネット。多くの人がそう覚えています。
ところが、彼女がこの言葉を口にしたという証拠は、どこにも残っていません。それどころか、この話が最初に書き留められたとき、彼女はまだフランスにすら来ていなかったのです。
出どころはルソーの自伝
この言葉の最も古い出典として知られているのは、思想家ジャン=ジャック・ルソーの自伝『告白』です。その第6巻に、若き日のルソーがワインを手に入れたものの、つまみにするパンがなくて困る場面があります。身なりがよすぎて、ふつうのパン屋に入るのは気が引ける。そこで彼は、こんな話を思い出したと書いています。
農民たちにはパンがないと聞かされて、「それならブリオッシュを食べればいい」と答えた、ある大公妃の苦しまぎれの一言を、私はようやく思い出した。
ルソーはこの「大公妃」が誰なのかを書いていません。『告白』はすべてが事実どおりの記録とはみなされていないため、話そのものが創作だった可能性もあります。
そのころ王妃は、ウィーンの少女だった
問題は年代です。『告白』の前半6巻が書かれたのは、1765年ごろから1769年ごろにかけてとされます。マリー・アントワネットは1755年生まれなので、このときまだ10歳前後。オーストリアのウィーンで暮らす皇女で、フランス王太子に嫁ぐためにヴェルサイユへやってきたのは1770年のことでした。ルソーがこの少女を「大公妃」として書いたとは考えにくいのです。
本が出版されたのは、ルソーの死後の1782年。そのころには彼女はすでに王妃になっていましたが、革命期に王妃を激しく攻撃した人々でさえ、このせりふを彼女の言葉として持ち出してはいません。王妃と結びつけた早い例として知られるのは、革命から半世紀ほどたった1843年、作家アルフォンス・カールの文章です。
「お菓子」ではなく「ブリオッシュ」
ルソーの原文で、大公妃が勧めたのは「ブリオッシュ」でした。バターと卵をたっぷり使った、ふんわりと甘いパンです。ふつうのパンよりずっと高価なぜいたく品で、パンにも困る人に勧めるものとしては、たしかに的外れです。
英語では「ケーキを食べればいい」と訳されるのが定番になり、日本語では「お菓子」として広まりました。パンとお菓子の中間のような食べ物が、翻訳のたびに少しずつ甘くなっていったわけです。
なぜ王妃のせりふになったのか
当時のフランスの庶民にとって、パンは収入の半分ほどを費やすともいわれる主食でした。パンの値段は、文字どおり生きるか死ぬかの問題だったのです。だからこそ、パンの話題で庶民の苦しみを笑い飛ばすこの言葉は、強烈な皮肉として人々の心をつかみました。
似た話は、ほかの王女の言葉としても語られてきました。のちの国王ルイ18世は回想録で、ルイ14世の妃マリー・テレーズの言葉だと一族のあいだで信じられていたと記しています。ルイ15世の娘たちの名前が挙がることもありました。こうした「どこかの高貴な女性」の逸話が、最後に、ヴェルサイユの最後の王妃として最もよく知られる人物に落ち着いたと考えられています。
伝記作家のアントニア・フレイザーは、マリー・アントワネットが慈善に熱心で、貧しい人々の窮状に心を痛めていたことを指摘しています。1775年の小麦粉戦争と呼ばれる暴動のころ、オーストリアの家族に宛てた手紙には、苦しいなかでも自分たちを温かく迎えてくれる民衆の幸せのために、これまで以上に努めなければならないと書き残しています。浪費家だったのは事実としても、あの有名なひと言は、彼女のものではなかったのです。