古事記と日本書紀、古いのはどっち?
完成は古事記が712年で、日本書紀より8年早いとされます。ただ、今に残る写本は日本書紀のほうが古いのです。
イザナキとイザナミの国生み、ヤマタノオロチ退治、因幡の白うさぎ。日本の神話として知られる物語の多くは、『古事記』と『日本書紀』という二つの書物によって今に伝えられています。二つを合わせて「記紀(きき)」とも呼ばれます。
どちらも奈良時代の初めにまとめられた、日本に残る最も古い歴史書です。では、二つのうち先にできたのはどちらなのでしょうか。
712年の古事記、720年の日本書紀
『古事記』の序文によると、始まりは7世紀後半の天武天皇でした。天皇は、記憶力にすぐれた28歳の舎人、稗田阿礼(ひえだのあれ)に、天皇家の系譜や昔からの言い伝えを読み習わせました。しかし天皇が亡くなり、仕事はいったん途切れます。のちに元明天皇の命を受けた太安万侶(おおのやすまろ)が、阿礼の語る内容を書き記し、和銅5年(712年)正月28日に献上しました。全3巻で、天地のはじまりから推古天皇の時代までを収めています。
一方の『日本書紀』は、舎人親王らが中心となって編纂し、養老4年(720年)に完成したと、のちの国の歴史書『続日本紀』に記されています。全30巻に系図1巻を加えた大作で、神代から持統天皇の時代までを扱っています。
完成の年で比べれば、古事記のほうが8年早いことになります。
同じ時代に、なぜ二つも?
わずか8年の差で、なぜ似た内容の本が二つも作られたのでしょうか。二つの書物は、性格がかなり違います。
古事記は、漢字で書かれてはいるものの、日本語として読めるよう工夫された文章で、歌や神の名前は漢字の音を借りて書かれています。神話や英雄の物語がひと続きの物語として語られているのが特徴です。
日本書紀は、中国の歴史書にならった本格的な漢文で、出来事を年代順に記す「編年体」で書かれています。国の正式な歴史書(正史)として作られ、のちの『続日本紀』などとともに「六国史」と呼ばれる正史の最初の一冊になりました。本文のあとに「一書に曰く」として別の言い伝えを並べて載せているのも、大きな特徴です。
古事記は「証人」が少ない
じつは、「古事記が712年にできた」という根拠は、ほぼ古事記自身の序文だけです。『続日本紀』には日本書紀の完成は記録されていますが、古事記の献上についての記事はありません。稗田阿礼の名前も、ほかの記録には出てきません。
そのため江戸時代から、古事記は後の時代に作られた偽物ではないかという「偽書説」が唱えられてきました。ところが1979年、奈良市の茶畑で、太安万侶の墓が偶然見つかります。出土した銅の墓誌には、彼の位と、養老7年(723年)に亡くなったことが刻まれていました。編者が実在の人物だったことが確かめられ、今では古事記が奈良時代初めの書物であることは、多くの研究者に認められています。
写本の古さでは逆転
ところが、今に残る「実物」の古さでは、話が逆になります。古事記の最も古い写本は、名古屋の大須観音(真福寺)に伝わる真福寺本で、書き写されたのは南北朝時代の1371〜72年です。それに対して日本書紀には、9世紀、平安時代の初めに書き写された「田中本」が残っています。
この差は、二つの書物がたどった道のりの違いを映しています。日本書紀は、完成の翌年から朝廷で講義が開かれ、正史として繰り返し読まれ、書き写されてきました。一方の古事記は長く日本書紀の陰に隠れ、広く注目されるようになったのは、江戸時代の国学者、本居宣長が35年をかけて注釈書『古事記伝』(全44巻)を書き上げてからのことでした。