サハラ砂漠は昔、緑だった?
はい。約1万1000〜5000年前のサハラは雨が多く、草原や湖が広がり、カバやワニもすんでいました。
サハラ砂漠と聞いて思い浮かぶのは、果てしなく続く砂丘や岩の大地でしょう。西サハラの年間の雨量は、いまでは35〜100ミリほどしかありません。東京の年間降水量(約1600ミリ)と比べると、十数分の一から数十分の一です。
ところが、この砂漠のあちこちから、魚の骨やカバの歯、ワニの骨、そして人が暮らした跡が見つかっています。サハラはかつて、緑の大地だったのです。
湖とサバンナが広がっていた
研究者たちは、およそ1万1000年前から5000年前までの時期を「緑のサハラ」と呼んでいます。2017年、アメリカのアリゾナ大学のジェシカ・ティアニーさんらは、サハラ沖の海底にたまった泥に含まれる植物の成分を分析し、当時の雨の量を見積もりました。
その結果、緑のサハラの時代の雨量は年間640ミリほど(中央値)で、いまのおよそ10倍。場所によってはもっと多く、北は北緯31度あたりまで湿った気候が広がっていたといいます。
そのころのサハラには草原や木の生えたサバンナが広がり、あちこちに湖がありました。いまのチャド湖のもとになった「メガチャド湖」は、最も大きかった時期には40万平方キロメートルほどもあったとされます。日本の国土よりも広い湖です。
砂漠に残された暮らしの跡
2000年、アメリカの古生物学者ポール・セレノさんが率いる恐竜化石の調査隊が、ニジェールの砂漠で思わぬものを見つけました。「ゴベロ」と呼ばれる、かつての湖のほとりの遺跡です。
ここからは約200体の人骨が見つかり、なかには約9500年前の、サハラで最も古い墓地も含まれていました。ごみ捨て場の跡からは、体長2メートルにもなる淡水魚ナイルパーチやナマズの骨、カバやワニ、カメの骨も出てきています。人々は湖で魚をとり、動物を狩って暮らしていたのです。
岩に描かれた絵も、緑のサハラを伝えています。アルジェリアの世界遺産タッシリ・ナジェールでは、これまでに1万5000点もの岩絵が見つかっていて、レイヨウ(アンテロープ)やワニなどの野生動物、ウシの群れ、狩りや踊りをする人々が描かれています。
緑にしたのは、地球の「首ふり」
それほど豊かだった土地が、なぜ緑になり、そして砂漠に戻ったのでしょうか。カギは、地球の自転軸のゆっくりとした「首ふり運動」(歳差運動)にあります。
この首ふりによって、北半球の夏に地球が太陽にいちばん近づく時期がめぐってきます。約1万年前はちょうどそうした時期で、北半球の夏の日差しがいまより強くなっていました。陸地が強く温められると、海から湿った風を呼びこむアフリカの夏のモンスーン(季節風)が強まり、雨を降らせる雨雲が、ふだんより北のサハラまで届くようになったのです。
さらに、草木が育つと地面が暗くなって熱を吸収し、砂ぼこりも減るので、雨がいっそう降りやすくなります。こうした植物とちりのはたらきがなければ、これほどの雨は説明できないといいます。首ふりの周期は約2万年で、サハラはこれまでにも、緑と砂漠の時代を何度もくり返してきました。
緑の時代の終わり
日差しが少しずつ弱まると、緑のサハラは終わりを迎えます。ティアニーさんらの分析では、その終わり方は、数百年ほどのうちに一気に乾いていく急なものだった可能性が高いとされています。およそ5000年前のことです。
緑の時代のなかにも、乾いた時期がはさまっていました。約8000年前には、1000年ほど雨が大きく減った時期があり、ちょうどそのころ、ゴベロの人々もいったんこの地を離れています。湿った気候が戻ると、別の人々がやってきて、魚や貝をとり、ウシを飼って暮らしました。気候の変化は、そこに生きる人々の暮らしを大きく左右していたのです。